高橋響 日記

高橋響のどうしようもない日記

帰・東京

8ヶ月振りの帰省を終え、東京に戻ってきた。東京駅に着いてすぐ、ホームの喫煙所へ行く。煙草に火を点けたものの、打ち合わせに遅れそうなので大きく2吸いして、真っ黒い灰皿の中へ落とす。急に渋谷駅のエスカレーターに乗せられたかの如く、時間がスピード感を持って動き出した(渋谷駅のエスカレーターってなんであんなに高速なんだろう)。

花巻では1時間散歩をしても2人とすれ違うかどうかといったところだが、東京では家を出た瞬間一気に5人くらいとすれ違う。1時間も歩けば大変な人数とすれ違う事になる。花巻では友達と温泉に行き、夜は家族と話す。東京では仕事に行くか、家で仕事をするか。誰とも話さない日が殆ど。そんな日が続くと、お店で言う「ありがとうございます」が想像を超えた音量で出てしまう。恥ずかしい気持ちと同時に「これ、中学の頃、体育館でやった陸上大会の走行式みたいだな。『この大会では1分1秒を縮め、悔いの残らない走りをしてきます。応援よろしくお願いします!』みたいな。あの音量感だ。」と思う。結論、花巻からすると東京は外国なのだ。言葉が通じるだけで文化は全く違う。

でも東京にも良いところはある。ライブに沢山行けたり、服屋が沢山あったり…。あと、上京しなかったらきっと後悔していた。岩手の人が東京に抱く憧れは異常だ。きのこ帝国の「東京」「桜が咲く前に」を聞いてもらえれば理解できると思う。まあ「余生は岩手で過ごして良いよ」と言われたら、明日にでも自分の人生を余生と認定し岩手に帰るが。

そんなこんなでポーズ中だった日々が再びスタートしました。激動。ご飯を食べ忘れるくらい激動。カップ麺を啜りながらPCを触るくらい激動。寝る間を惜しんでブログを書いている…。来月から地元の友達と2人で一緒に暮らす事になったので、三軒茶屋にプチ花巻を創り、精神を安定させようと思います。PS4持って帰ってきたのに全然ゲームできねー!

岩手②

毎回、帰省する度に熱中するものがある。それは"死にゲー"だ。"死にゲー"とは、難易度が高く、プレイ中に何度も死に、攻略に時間を要するゲームの事である。

僕の死にゲーヒストリーは『Ghost of Tsushima』から始まった「『Ghost of Tsushima』は死にゲーじゃない!」と言う方、それはそうなんですが、今までそんなにゲームをやってこなかった僕にとって『Ghost of Tsushima』は立派な死にゲーだったのです。

そして、今回の帰省では以前、難しすぎて超序盤で断念した事のある『SEKIRO』をプレイしている。今日は序盤の大ボス的なやつを倒した。正直、僕はゲームがちょっと上手い。大学生の頃、友達とよく『大乱闘スマッシュブラザーズ』をプレイしたのだが、そのグループで1番上手い人(ゲームの持ち主)と互角に渡り合えるくらい上手かった。これは自分のちっぽけな人生で唯一誇れる事である。正確に言うと「自分はそこそこゲームが上手い」と今日までは思っていた…。

朝11時、PS4を起動し人をダメにするソファに沈みながらボスに挑んだ。やってもやっても倒せない。どころか一太刀も食らわせる事ができない。そこから17:55にボスを倒すまで30回はやられた。勝利した時、右手の親指は感覚を失い、気温22℃の部屋の中で汗をかいていた。ドーパミン

普段はゲームを全くしないが、帰省した時だけ、何もかも忘れてゲームに熱中する。これが恒例となっている。なので著しく連絡を返すのが遅くなるし、溜まっていた仕事の事も忘れてしまう。東京では日々、ご飯を食べながらパソコンを触り、IllustratorPhotoshopのショートカットキーがごっちゃになったり、常に締切に追われているので「今くらいは赦せッ」と思う(『SEKIRO』の影響で語尾が忍びっぽくなってしまいました)。

僕は常に生きているというヒリつきを求めている。そんなヒリつきを手軽に味わえる『死にゲー』は今日も僕に生きている実感を与えてくれる。サンキューSEKIRO。

岩手①

メジャーデビュー後、初となるまとまった休み貰えたので岩手に帰省した(大晦日ぶり)。

東京駅から新幹線に揺られる事、3時間5分。やまびこ65号は新花巻駅へ到着した。友達が新花巻駅まで迎えに来てくれたのでそのまま優香苑(温泉)へ向かった。

連休初日という事もあり混雑を予想したが、そんな事はなかった。なぜなら岩手だからだ。東京は常に人で溢れている。連休初日の優香苑は平日22時の弘善湯(三軒茶屋)より空いていた。湯に浸かりながら「温泉に入った後の火照った身体に岩手の美味い飯をブチ込んだら大変な事になるぜ…」と呟いた。

温泉に入った後は、岩手の一大祭り「冷麺祭り」が開催されていたので、ヤマトへ向かい盛岡冷麺を食べた。※冷麺祭り…焼肉屋ヤマトで定期的に開催される冷麺が激安になる祭り。

家に帰れば「おかえり」と声が聞こえた。いつも中々寝付けないのに、布団に入った途端に意識がなくなり、朝を迎えた。焼き鮭と白米、味噌汁の朝ご飯を食べた。

 

岩手に帰る度、東京で感じている焦燥感やストレス、不安から解放され、何物でもない素の人間に戻れる。居心地が良い。

結婚したら岩手に家を建てて、犬と一緒に暮らす。誰に言われるでもなく、人目を気にせず、好きな時に好きな音楽を作る。1週間に1回は温泉に行く。週末は友達と双葉町でビールを飲む。そんな生活を送りたい。

 

結婚式

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今日は再従兄弟(はとこ)の結婚式に招待してもらい、出席しました。

 

3つ年上の再従兄弟(以後:Jくん)とは家が近かった事もあり、毎日の様に遊んでいました。『大乱闘スマッシュブラザーズ』をやったり、デュエル・マスターズをやったり、バトルえんぴつをやったり、家の裏に秘密基地を作ったり、サッカーをしたり、市民プールに行ったり…色々な事をして遊びました。1年の内、362日は遊んでいたと思います。

 

昔、悪さをしていた事がバレて「しばらく会うの禁止令」が発令されました。その時、信じられないくらい号泣した事を覚えています。あの頃の僕にとって「Jくんに会えない」というのは、今で言う「失恋」くらいの悲しさだったのです。幼い頃の僕の将来の夢は「Jくんと一緒に住んで、Jくんは働いて、僕は家でパンケーキを焼いて待つ」というものでした。そんな意味不明な夢を本気で持つくらいJくんの事が好きでした。

 

そんな憧れの存在だったJくんの結婚式はとても素敵でした。

 

Jくんが白のタキシードでチャペルに入場してきた時、昔の記憶が走馬灯の様に頭を駆け巡りました。「市民プールで溺れた時に助けてもらったな」とか「小学校の帰り道、こっそり自販機で缶のファンタグレープを買って2人でちびちびと飲んだな」とか「泊まりに行った時、布団の中で一緒にゲームボーイアドバンスをやったな」とか「近所の子と雪合戦をしてボコボコにしたな」とか…。親族だらけの結婚式だったので泣かないと決めていましたが、チャペルの扉が開いてすぐ、その決意は崩れ去りました。

 

その後、披露宴の余興で弾き語りをしました。新郎新婦に向けて「Wedding Song(仮)」という曲を書きました。その曲を歌わせて頂きました。「遠くまで来たね 僕が言うのも何だか変だけど 君の事だからきっと大丈夫 もう1人ではないからさ」という歌詞が好きです(リリースもしてないのに好きな歌詞を述べて申し訳ないです)。レコーディングしたらJくん夫婦に送ろうと思います。

 

正直、新婦さんに対しては嫉妬しますよね(笑)。昔の僕の夢を叶えた人ですから。

新婦さんのお腹には新しい命が宿っているとサプライズで聞きました。嬉しかった。

Jくん、また気が向いたら遊んでね。

3人が不自由なく、幸せに暮らせる未来を作りたいですね。勿論、音楽で。

 

心からおめでとうございます。

思い出のご飯

恥ずかしながら、最近ようやくKendrick Lamar『Mr. Morale & the Big Steppers』の良さに気付き、毎日聴いています。

 

「今までで1番美味しかったご飯はなに?」と聞かれたら皆さんはなんと答えますか?

食べログ評価の高いお店、安くて美味しい牛丼屋、町の定食屋など…僕たちは常日頃からクオリティの高い食事に恵まれています。あまり声を大にして言いたくはないのですが、音楽が仕事になってから、美味しいご飯屋さんに連れて行ってもらったり、地方の名物を食べたりとそれなりに贅沢な食事を摂っている(摂らせて頂いている)つもりです。本当にありがたいです。

しかし「今までで1番美味しかったご飯はなに?」と聞かれたら僕は「幼い頃、豊沢川の河川敷で母と半分こして食べたコンビニのサイコロステーキ弁当」と答えます。

保育園に通っていた頃だったと思います。昔から母とは友達みたいな感覚で色々な所に出掛けていました(徒歩か自転車、バス圏内)。そんな日々の何気ない一コマ。ただ弁当を買って河川敷で食べただけなのに、なぜかこの日の事はずっと覚えています。

 

当時、僕は「サイコロステーキ弁当は高級だから2つも買うお金がなく、半分こにしたのではないか?」という憶測を立てていました。子供なりに「うちはお金持ちじゃない…」と思っていたのでそういった考えになったのだとおもいます。でも今、あの頃の記憶に修正を加え「あれは僕がまだ幼くひとつを食べ切る事ができないから半分こにしたのではないか?」という新たな憶測を打ち立てました。本当にどうでも良い考察です。きっとこの事を母に聞いたら半笑いで「そんな事あったっけ」と言われるに違いありません。

 

あの弁当を買った桜町のサークルKサンクスファミリーマートになっていて、保育園に通っていた少年は大学を卒業し、ミュージシャンになりました。時間はすごい速さで流れていきます。

 

きっと今、同じサイコロステーキ弁当を食べてもそれほど美味しいとは感じないはずです。でも、あの頃、桜の咲いている河川敷で母と食べたサイコロステーキ弁当は、今も「1番美味しいご飯」で在り続けています。暖かい春の日の思い出。

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喜び方

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もしもの時に備えて、入念に準備をする性格は自然と心の揺れを最小限に抑えます。それによって得られるのは「失敗を恐れない心」と「喜び方を忘れた心」です。

 

高校2年生の頃、球技大会でサッカーに出場しました。「現役選手は出場禁止」というルールの元、行われたので、小学生から中学生(半ば)までサッカーをやっていた僕はそれなりに活躍しました。決勝は3年生が相手。クラス全員が見守る中、一進一退の攻防が繰り広げられ、最後は僕のフリーキックからクラスメイトが押し込み、得点。と、同時に試合終了のホイッスルがグラウンドに響きました。学校に上手く馴染めず、死んだ魚の様な目で生活していた僕は、住む世界がまるで違うクラスの中心メンバーたちと、身分の境界線を越え、抱き合い、勝利を喜びました。

 

未だにその感動を覚えています。球技大会のサッカーで優勝した事が嬉しかったのではありません。きっと「こんな自分でも生きてて良いんだ」とか「誰かの役に立てた」という安堵感から来る喜びだったのでしょう。

嬉しい事、幸せな事は沢山あります。多分、恵まれています。ただそれを俯瞰して見てしまう自分もいます。「こんな時はどういう喜び方をすれば皆は安心するかな?」とそんな事ばかり考えている内に本当の喜び方を忘れてしまいました。なので「これが叶ったら心の底から喜べそうだ!」という項目を"死ぬまでにやりたい事'22"というタイトルでメモしています。

 

・犬を飼う
花巻市民文化会館でワンマン
フジファブリックとツーマン
・アルピーと話す
など…

 

死ぬまでに全ての事を達成できるとは思っていません。ただ「もしかしたら心の底から喜べるかも?」という項目があるうちは生きてみようと思えます。